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「国語の授業」261号

2017年秋号発行

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文法指導を意識した低学年の作文指導


2010.8.31 山岡寛樹

1、発音指導や語句語彙指導と結びつけた文字指導からスタート
 入門期の指導は、絵を元にしての文作りの学習からスタートする。多くの子がひらがなを一応読めて書けるが、書けるのは自分の名前ぐらいであるという建前で指導する必要がある。発音指導と語句語意指導を兼ねての文字学習は作文を書く上での基礎となる。子ども達にとっての難関は「です・ます」の敬体で話すことだ。敬体は入学当初の子ども達にとって難関である。「熊がいるです」「熊がいたです」といった文になりかねない。今のことなら、「います」、前のことなら「いました」という文型を使えるように指導しないと教室での言葉になっていかない。
 日本語の文字はほとんど一音を一つの文字で書き表すのが原則になっている。しかし、入学当初の子ども達の発音がそのまま文字になるのかというと、問題が生じる。「ゆった」は「いった」が正しく、ら行とだ行の音的区別も明確でない子が多い。助詞の「は」は「わ」と発音し、「〜へ」は「〜え」と発音する。「〜お」といいながら、表記は「を」だ。子ども達はひらがな表記の矛盾と問題点に直面する。長音表記の規則性の理解も困難を伴う。「え〜」と伸びる音の例外は「おねえさん」くらいだからどうにかなるが、「お〜」と伸びる音については例外が多すぎる。拗音を半母音として処理してしまうと、ひらがな五十音表がかなり簡略化され子ども達に説明しやすくなる。長音も二十世紀初頭のようにすべてカタカナ方式の棒引きにしてしまえば、本当に指導が楽になる。こうした困難を引き継ぎながら、書くという作業に子ども達は入るわけだから、文字表記の正確さを求めすぎると、子ども達は書く意欲をなくしてしまう。
 文字習得が、音声によることばを文字に置き換えられる喜びとしっかりと結びつけながらの指導が大切になる。息が抜けるか止まるか・口の開き方・舌の位置など、構音に関する指導をし、その音を使うことばを想起させ、語彙指導をし、字形を教え、書き順を確認しという「ひらがな指導」をしていく。その中で、声量を高める指導もしていく。そのことで音声(外言・内言)と文字との結びつきの意識を高めていく。

2、構文意識を高める指導を系統的に進める
 前節でも触れたが、学校に入学した子ども達が求められるのは「教室の言葉」=「社会的な言語」である。自分の発話が相手に理解されることが必要なのだ。単語文・一語文では意思の通じ合いが困難になる。「叩いた」では誰が誰を叩いたのかが分からない。「○君が、ぼくを叩いた」と言わなければならない。前後の状況が分からなければ、指導も成立しない。文はある対象についての判断を言い表す基本的な単位である。判断の対象が「主部」であり、判断の内容が「述部」である。この主部と述部の結びつきを繰り返し指導していくことになる。
 学校のような多くの人と活動する社会生活では、主部・述部が揃った文が求められる。親しい人が相手の時には、補って聞いてもらえるが、学校生活の場面ではそうしてもらえる機会は少ない。「ナニガ・ドウ」(ナニガードウスル・ナニガードンナダ・ナニガーナンダ)をはっきり示さなければならない。基本三文型(@動詞文A形容詞文・形容動詞文B名詞文)の指導は外せない。存在文となる「アルナイ文」の指導も必要になる。「文ちゃん人形」を示し、「『ナニガ・ダレガ』が頭で、『ドウスル・ドンナダ・ナンダ』が体だ」と指導しておくと頭と体の揃った文=主述の完備した文かどうかの区別が一年生の子にも分かりやすくなる。「文ちゃん人形」の効用は、子ども達の話しことばの中に多い「〜して、〜したから、〜で、そして〜したので、〜」といった『だらだら文』を追放できることにもある。
 文指導の初めは、修飾関係のない文とする。それから徐々に修飾語を加えたものを指導していくようにする。動詞文では「補語」「目的語」を必要とするものが多い。目標としては修飾部分を含む「どんなナニガ、どんなナニヲどんなナニヘどんなにドウスル」を意識して文作ることのできる子どもを目指して指導をしていく。この意識は、物語の読みや説明文の読みの指導の中でも追求していく。
 作文指導では、主部と述部が一回結びついた単位文を書くことを主眼とする。単位文をいくつも続けて書くことを目指すが、それぞれの文の繋がりを強く意識しているときには、接続詞を入れるように指導する。その時に、前文と後文が素直につながるとき(順接)には、「矢印つながり」とし(→)と教える。前文と後文の関係が反対になっているとき(逆説)は、「Uターンつながり」とし(U)の記号を教える。順接の接続詞として「だから、それで、そうしたら」などを意識的に指導する。逆説の接続詞として「しかし、けれども、でも」などを意識的に指導する。付け加えるときには、「+」の記号を使って、「そして、それに、また」などの接続詞を教える。
 二つの文をつなげるときには、@順接(ので・から・と・て)A確定条件の逆説(けれど・のに・が)B同時並列(たり・し)C継続(て・と)などを指導する。接続助詞などを使って文をつなげて重文にするする時には、二つを限度とするような配慮をしないと、『だらだら文』が増え、子どもの思考を混乱させることになりかねない。

3、描写系の作文から説明系の作文へ
@文字学習と共に始める作文指導
 子どもの書く文章の多くは、自分の行為を綴った描写系の文である。まずは「〜ました。〜ました。〜ました」と動詞の過去形で綴らせることからスタートする。絵を見て表現させると現在形やアスペクト表現が多くなるが、自分のこと表現すると過去形表現が多くなる。敬体表現の過去形で混乱を生じるのは、形容動詞文だ。名詞文や形容動詞文の過去は「〜でした」ですむ。形容動詞文であれば、「夕日がきれいでした」ですむが、形容詞文では「夕日が美しかったです」となる。形容詞を過去形にしてから、「です」をつけるという作業が難しいのだ。形容詞文の丁寧過去表現は指導は難しい。一年生の六月半ばに『おれはかまきり』と『てれるぜ』を読んでから感想を書いた時に、大さんは「かまきりりゅじ とてもおもしろいです。てれるぜのほうがもっとおもしろいで たかさとでまってます」と途中で切っている。「面白いでした」は変だと思ったのだろう。「面白かったです」とできなかっために、途中で諦めたのだろう。低学年の子が混乱している時には、日本語表記の特殊性が影響していることが多い。表記の間違いに目くじらを立てずに、書かせていくことが大切になる。生活科で観察したことを書かせたり、教科学習のことを書かせたりする時、説明系の文体を敬体表現にしようとすると「背中の色は、黒い」を丁寧過去にすると、「黒でした」「黒かったです」「黒い色でした」「×黒いでした」などとなり、名詞か形容詞かの区別がうまくできず、表現する時に困難がつきまとう。
 私は、ひらがなの清音の指導が終わる段階から、絵を描きそれに解説を加える程度の作文を書かせるようにしている。忘れた文字は「・」で良いと言うのだ。無理に文章にはさせていない。最近は、秋の校内研究の発表や二学期制の影響で五月末に運動会を実施するところが増えている。そんな中で児童会から運動会の決意を求められた。その時、絵だけではなく、「たまいれがんばるぞ」「たまいれ(を)がんばります」「りずむをちゃんとできるよにうなります」という決意が書かれた。文の頭がなかったり、助詞が欠けていたりするが、意図はよく分かる。音が不明確で「たまいで」と書く子もいる。子ども達はいろいろな困難を乗り越えて文章が綴れるようになっていく。慌ててはいけない。
 アサガオの子葉が出てきたので、観察をさせた。「つちからでたところです。しらないところもあるあさがおのこと」(山)「こんなにおおきくなりました。でもさいごのいっこわまださいてません」(佐)意味が通じにくい部分もあるが、しっかりと描いた双葉の下に文をしっかりと書いてる。現在形で表現したり、逆説の接続詞を使ったり、強調表現も駆使している。「うえのようにかきました。そのとき、うんどうかいのれんしゅうかわかりませんけど、やっていました」(橋)「ありさのあさがおは よっつさいてうれしかったです。でもひとつさきませんでした」(前)とアサガオの観察とは関係のないことを書いたり、芽が出たを「咲く」と表現したりしているが、自分の行為や思いを綴るようになってきている。否定形もしっかりと意識して使っている
 運動会終了時の短作文では、「楽しかったこと」「頑張ったこと」という項目を板書して書かせた。「つかれるけどがんばりました。でもいちばんがんばったのは、たまいれかもしれません。たのしいのは、つなひきです」(新)「たのしかったのは、たまいれで、なげるのがたのしかったです。がんばったのは、りれいではしるのをがんばりました」(唐)「たのしかったのは、おおだまおくりです。とってもたのしかったです。がんばったのは、50メートルそうです。がんばったけど、5いでした」(橋)「たのしかったのは、ちゃれんじゃーです。みんなでやったからです。がんばったのは、50めとるそうーはしるので、がんばったからです」(ア)と、自分の経験や思いをしっかりと綴っています。板書の項目が「こと」と名詞になっているので、名詞文が出てきます。なぜ楽しかったのか?なぜ頑張ったのか?の理由を書く子も出てきた。文を書く速さが増してくる。
A 観察記録などで形容詞文や名詞文を無意識に書かせる
 六月の終わり頃になると、アサガオはぐんぐん大きくなった。『のびたあさがお』「わたしのあさがおは、ほんばのかず16まいです。じぶんのせとせいくらべ。じぶんのなはぐらいです。よくみてみると、はなになるつぼみがありました。いままであんなにちいさいのがこんなにおおきくなってすごいです。しょくぶつだからしぜんに、あんなにおおきくなってすごいです」(長)『あさがおのつる』「ぼくのあさがおは、つるのさきがいんげんみたいでした。ぼくのあさがおの、ほんばのかづは26まいでした。つるは、しちゅうよりのびてた。あさがおは、ぼくのみみぐらいでした。よくみると、しちゅうになんかいもからみついてた。いちばんてっぺんのつるのほんばが、ちっちゃかった」(稲)と長くてまとまりのある文を書くようになってきた。「よく見てみると」ということばで注意深く観察させるようにしていた成果が出ている。比喩表現も出始め、修飾語がだいぶ多くなってきた。自分意識が出始め、「ぼくの」「わたしの」が目立つようになった。
B 自分の思いや感想意見を書かせる努力を始める
 現場学習で、葛西水族園に行った後の作文である。「すいそうのなかに(で)ひとがそうじをしていました。まぐろがおもしろかったです。さめがこわかったです。ひとでが(に)さわれたのがたのしかったです。うにが(に)さわれたのがたのしかったのです。まぐろがきれいでした。さめがこわかっです。めがこわかったです」(鈴)「まぐろのかいてんずしがたのしかったです。でも、このまぐろはどんどんうられていくのかな〜。そんなことをおもいました。いちばんおもしろかったのは、うにやかにやさかなやひとでを(に)触れるところが、いちばんたのしかったです。でも、ひとではさわれませんでした。さめもしゅもくざめがおもしろくて、おもしろくてわらいすぎてへそでちゃをわかしました。まっかないそぎんちゃくがいました。そのなまえはなんだったんだろう。それよりぺんぎんがてのようにうごいてくれたのがかわいかったです。ペンギンのほかにもいろいろなとりがいました。およいでいました。およぐのがじょうずにおよいでいました。とんでいるみたいでした。かわいくてどうしようもできませんでした」(青)というように、単位文を連ねて、自分の見たもののおもしろさを自由に表現している。大人から聞いたことばや慣用句を入れる様子も見られる。指示語も使うようになっている。
 夏休み前に、読書感想文の練習も入れた。これは他の教科書の『おむすびころりん』の授業を六時間にわたって行ったときの最後の感想である。書き込みをしたり、それぞれの立ち止まりごとの感想をまとめさせるなど、読みと書く指導を一体化した「一読総合法」での授業実践の最後の立ち止まりの感想である。「はじめは、おじいさんがかわいそうだったけど、でも、いまはたのしそうでよかったです。それで、おじいさんは、ねずみからこづちをもらったからうれしそうだったです。それでおじいさんとおばあさんは、いつまでもなかよくたのしくくらしたからよかったです」(須)「おにぎりをおとしてしまったけど、ねずみにごちそうしてもらったから、おなかがいっぱいになっちゃった。おなかがすいたことなんかわすれて、おどったりうたったりしてたのしそうだった。おじいさんはすべっちゃったけど、しあわせそう。おれいにこづちをもらって、うれしそう。うちでのこづちをふってみたら、おこめやこばんがでてきた。まあいち(毎日)おじいさんは、たのしそう」(能)「おじいさんおばあさんけんかしないでくらしてね。おじいさんおばあさんしごとがんばってね。おかねがいっぱいになってよかったね。ねずみさんからいいプレゼントもらってよかったね。おじいさんおばあさんよかったね。おじいさんおばあさんこづちでいっぱいかせいでね」(淵)と接続詞や接続助詞を使って自分の感情の変化を意識している。また、文を根拠にして想像する中で、個々の子の論理的思考が展開されている。
C 子どもの発達の行きつ戻りつに寄り添って
 夏休みを終えると一年生の子ども達は一回りたくましくなるが、作文を書く力はかなり低下してしまう。声も小さくなり、自己主張の仕方が弱くなってしまう。子どもの発達は一直線ではない。そうした子どもの発達の在り方に寄り添いつつ指導を再開する。
 夏休み中の思い出を語らせた後、作文を書かせた。『ぷうる』「ぷうるにいってあそびました。ながれるぷーるもやりました。おもしろかったです。うみもいきました。いったら、くらげがいました。さかなもはねていました。うみのみずがくちにはいったから、しょっぱかったです。また、ぷうるにもどったら、なみのぷうるにいきました。なみがきたから、おもしろかった」(谷)『おばあちゃんち』「おばあちゃんのいえにとまりました。ひとりでとまりました。おひるにおこのみやきをたべました。みせでたべました。ゆうがたにみずまきをしました。とってもたのしかったです。こうえんも(に)いきました。どろであそびました。ねるところは、べっとでねました。かえりたくないほどたのしかったです」(新)書きたいことと書きたいこととの関連を意識しだしている。時を表すことばも自然に入っている。自分のことを「ぼく」「わたし」と明示せず、頭のない文が多い。自分のことは自明なので、省略される傾向が強い。それ以外の格助詞の使い方はよくできている。 C 物語を批判的に読ませる
 『けんかした山』という教材が教育出版では復活した。けんかばかりしている山に言って上げたいこととして登場人物を異化して書かせた。「やめろとゆいたい。あたまもよくなんない。ほんとうにねられない」(鈴)「けんかをやめないともりのどうぶつたちがあんしんしてねむれないから、けんかをやめなさい」(岩)「けんかをやめてほしい。なかよくしてほしい。どうぶつをあんしんしてねさせてあげたい。やさしいやまになってほしい。どうぶつたちがあんしんしてそとにでてあそばせたい」(川)ストレートに表現したり、複雑な表現を駆使したりして、まわりの動物たちの窮状を述べながら山を批判している。思いや願いがだんだんと登場人物の行為についての批判的な思考を深めていく。感情ぐるみの論理力を育てるのに、物語文の読みは欠かせない。  最後の立ち止まりの後では「けんかをやめた。どうぶつはあんしんした。やまはしょんぼりとかおをみあわせているとき、じぶんがわるいことをしたってわかっている。もうやまはけんかをやめた。もうやまはなかよしになった」と、学級では一言もしゃべらなかった子が物語の本質をズバッと書いていた。文章が苦手な子もいれば、話すのが苦手な子もいる。表現は多様であっていいとつくづく思う。余談だが、この子が高学年になった時、自然に会話ができた。
E 説明系の文綴らせ続けることによる効果
 九月の体育でドッジボールの指導をした後に作文を書かせた。描写系の作文だけでなく説明系の作文を意識して書かせていくと、自分達のしたことを書くだけではなく説明を入れるようになってくる。『ドッジボール』「ドッジボールは、あてたりなげたりするものです。みんなつよくて、ゆだんできません。いっしょのグループもつよくて、やくにたちます。わたしは、みんなとやって、たのしいです。でも、ときどきけんもします。わたしはみんながやさしくしてくれて、とってもたのしかったです。みんなしゅうちゅうしてボールをみていました。なんかいもこっちのチームがかち、わたしはおおよろこびです。さくらちゃんがとってもすごくつよくって、びっくりしてしまいました。がいやのこはなげていて、どんどんなげてないやにはいってきます。でも、わたしはまけません。でも、ときどきなげるとき、てがすべって ねらっているほうこうになかなかいきません。でもドッジボールはたのしかったです」(葉)といった現在形を駆使し、説明系の文を書く子も出てくる。こうした文を学級便りなどで紹介していくと、それが教室の文化として花開いていく。
  F 説明的文章を書かせる場面
 子ども達に説明的文体を欠かせる場面はたくさんある。校内作品展があれば、どの作品がどうして気に入ったのかを書かせれば良い。『うみのえ』「なんねんなんくみかわかんなかったけれど、あのうみのしかけがおもしろかったです。さかなもきれいでした。すごくきれいでした。うみのいろも、すごくきれいでした。さかなが4んひきおよいでました。ほんとにきれいでした。えがすごくきれいでした」(日)『ぺんぎんのえ』「ぺんぎんのえがかわいかったです。そらがひかってたきがしました。ぺんぎんがこおりのうえにのっていました。とてもかわいかったです。ちかくにいたのととおくにいたのといました。とおくにいたのがちいさくて、ちかくにいたのがおおきかったです。かわいかったです」(甲)のように自然に説明体となる。
 紙を追って落ち方を楽しんでから作文を書かせた。たくさんの折り方を自由にやらせたので、自然とナンバリングで書いたり、順序を示すことばを入れたりして書く子がでてきた。「てんとみたいにおったのは、まっすぐおちます。しかくにきったのはくるくるまわります。さんかくもしかくとおなじみたい。おちばみたいにつくったのは、くるんくるんとまわります。とんぼみたいにきったのは、くるくるとまわります。しかくくおったのは、くるくるとまわります」(外)「きょうは、かみであそびました。いちばんおもしろかったのは、くるくるまわるのがおもしろかったです。にばんめにおもしろかったのは、ぐにゃぐにゃおちるのがおもしろかったです。パラパラってやったのもおもしろかったです」(野)
 絵に数字を打ってナンバリングした例「こんにちは。では、これからおりがみいろいろなかたちのまわりかたをせつめいします。@はまっすぐおちました。A(くるくる巻の絵)と、まわりました。Bは、ゆ〜らゆ〜らまわりました。Cは、2かいてんしておちました。Dは、1かいてんしておちました。Eも1かいてんしておちました。Fまっさきにおちました」(青)落ち方が視点になっているために擬態語がたくさん出てくる。比喩表現も出てきた。いろいろな学習課題を子ども達に提示することが論理的な思考力を育てる上で必要である。

4、説明文の読みを通して育てる力
 説明文は、低学年の男の子が特に好きな文章だ。読みの授業で輝く子は、それぞれの文章で違う。いろいろな子の輝く瞬間を見たくていろいろな文種を子ども達に与える。そんな中で、長新太の『おなら』(福音館科学の友傑作集)を学習した。絵本をプリントにして、3時間で学習した。絵は必要最小限にしている。そうしたプリントでの学習の最後の立ち止まりから前さんは「すかんくはとてもおならがくさい」「えき=みをまもる」と書き込みをしていた。最後のまとめとして「すごくおもしろかったです。『おなら』@ではけんこうな人はやく百ミリリットルのおならをするっていっていたけど、それはわたしじゃなくてわたしのおかあさんだとおもいます。『おなら』Aでにくやさかなをたべるとくさいおならがでるってしらなかったです。すかんくやみいでらごみむしはおならじゃなくて、しるだっていうことはしらなかったです」と書いている。書き込みのときの認識が正され、新たな認識となって定着している。
 自分のことと結びつけていろいろなことを考え出す子ども達が多くなった。「すかんくやみいでらごみむしは、こうもんのかちくからくさいえきをだすけど、にんげんはこうもんのちかくからくさいえきをだすのかな? おいもやまめをたべるとくさくないおならがでるから、すかんくは、にくやたまごとか、たべたらくさいえきがでるのかな? わたしは、おいもとかまめがすき。まめはまいにちたべるから、わたしのおならはくさくないのかな? くさいとおもっていた」(岩)「ぞうのおならは、おおきい。人もおならがでるけど、すきなときにはでない。ものをたべると、くうきがはいる。くうきがくちからでると、げっぷになって、こうもんからでると、おならになる。けんこうな人は、一かいに百ミリリットルのおならをだす。おならをがまんしすぎると、おなかがいたくなったり、する。おならは、いっぱいだしたほうがいい。にくやさかなをたべるどうぶつのおならはくさくなり、まめやくさをたべるどうぶつはあまりおならは、くさくない。でも、おならはでやすい。すかんくやみいでらごみむしのえきは、おならじゃない」(稲)「いろいろなものをたべるから、おならがでる。おならはくさい! げっぷもときどきくさい! おならはやくにたつ。だいちょうには、うんちになるものがはいる。ガスはおならだけじゃなくて、いろいろなものにも、ふくまれてる。おならは、ときどきでる。くさくないおならも、あるかな? おならは、いつも、でる。いろいろなことをがまんしたら、どこかがいたくなることがある。それは、いいことだよ。どっちのほうが、いいの? にくやさかなやたまごは、かすがいっぱいあるのかな? いろいろなどうぶつが、にくをたべる。くさくないおならは、けんこうがいいのかな? らいおんやひょうやチーターは、とてもくさい。おならは、けんこうがよいこと。かめむしも、おならがくさい。かめむしも、みをまもるかもしれないから、くさいおならをするのかな」(青)のように自分の知識や経験と文章の内容を関連づけて考え始める。その流れは、いろいろな接続詞や接続助詞の変化として読み取れる。説明文の読みでは、書かれている内容の理解に終始しがちだが、自分の思いや考えまで発展させることで子ども達の論理的思考力を高めることができる。文章理解の力が、対象認識力を高めていく。
 文は判断である。主部と述部の結びつきを重視し、単位文で綴る。重文は二つの文を繋げるまでに止める。といったことを意識しながら多様な学習活動を子どもたちにさせる中で、一年生でも、意識的な論理的思考力育てができることが約半年の実践からわかった。