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「国語の授業」261号

2017年秋号発行

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2017年8月4日〜5日開催(金・土)

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21世紀を拓く国語教育の創造

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文学・説明文の授業

豊かな読みを子どもたちに 小学国語 文学・説明文の授業 1年

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たのしい文法の授業

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漢字・語句・理論情報

2011.2.17 更新情報の欄に漢字や語彙指導に関わる資料を掲載することにした。
2011.4.26 漢詩・漢文・和歌・俳句・古文についての私見を乗せました。
2012.9.28 新・中学教科書の傾向についての福田さんの論文を載せました。


『平成二十年版学習指導要領準拠 中学校国語教科書』


杉並区立井荻中学校   福田 実枝子

 中学校でも新教科書が使われ始めて半年。新教科書について気づいたことを述べてみたいと思います。
一 道徳との関連は
 今回の指導要領では、すべての教科で道徳を扱うこととしています。国語でも、道徳の徳目と結びつけることのできる教材が増えたと思います。
@ 道徳的な説明文
 国語で道徳というと、生き方について考えるという共通点から文学教材を思い浮かべるのですが、新しい教科書を見て、説明的な文章と徳目の結びつきを感じました。
例えば『笑顔という魔法』(K社一年)という教材があります。ペンを横に加えて笑顔に似た表情を作りながら漫画を読むと、同じ漫画でも面白く感じられるというのです。体の動きや状態が、思考や心理にも影響を与えるということを説いた脳科学者の文章です。しかし、道徳の3(3)「人間には弱さや醜さを克服する強さや気高さがあることを信じて、人間として生きることに喜びを見出すように努める」を思い起こします。また、同じK社の二年生の『学ぶ力』では、「学ぶ力」とは「私は学びたいのです。先生、どうか教えてください。」ということだと説明しています。これは、2(5)「いろいろなものの見方や考え方があることを理解して、謙虚に他に学ぶ広い心をもつ」と結びつきます。読書教材ですが、姜尚中『何のために「働く」のか』(T社三年)も、その内容が4(5)「勤労の尊さや意義を理解し、奉仕の精神をもって、公共の福祉と社会の発展に努める」につながります。資料編の教材ですが、船戸政一『武器なき出陣』(S社二年)という、薩摩藩士平田靱負の話があります。平田靱負は、『日本のために、同胞の難儀を救うのは、人としての本分ではないか』と、幕府から命令された美濃の治水工事を成し遂げた人物です。多くの犠牲者も出し、工事完成後に彼自身も自害するのです。これは4(10)「世界の中の日本人としての自覚をもち、国際的視野にたって、世界の平和と人類の幸福に貢献する」につながります。
教育勅語で言えば、義勇の内容です。
A 人間の死を扱った小説登場
 中学の教科書ではこれまで人間の死を題材としたものはほとんどありませんでした。当代人気作家の祖父母の死を扱った作品が三社に登場しました。一つは、重松清『タオル』(S社一年、K社二年)、もう一は、あさのあつこ『風の歌』です。4(6)「父母、祖父母に敬愛の念を深め、家族の一員としての自覚をもって充実した家庭生活を築く」に結びつきます。浅田次郎『蝉の声』(M社三年)もこれにつながります。芥川龍之介『くもの糸』(K社一年)も、芥川作品を取り上げるのに、なぜ『くもの糸』なのかと気になるところです。K社では、道徳的に読ませまいとする意図からか、この作品からは「与えられた条件の中で必死に生きようとする人間のせつなさ、あるいは生まれながらにしてもっている弱さのようなものが浮かび上がってくる。」と作品解説をしています。また補充教材として、『トロッコ』も載せています。
B その他に
 随筆の『雪とパイナップル』(M社一年)は、チェルノブイリ原発事故を扱っていますが、感謝する心が中心の作品です。
 古典作品でも、『伊曽保物語』から『犬と肉のこと』(T社一年)が掲載されるようになりました。

三 伝統的な言語文化については
@ 変わらない古典主教材
 これまでの指導要領で、古典は、「第3 指導計画の作成と内容の取扱い」の「読むこと」の中で取り上げられていたのが、『伝統的な言語文化と国語の特質に関する事項』として独立し、各学年での目標も立てられました。第一学年の『伝統的な言語文化に関する事項』に「古典には様々な種類の作品があることを知ること」とあります。授業時数が少なくなり、義務教育を終える前にこれだけは知っていてほしいと絞ったせいでしょう。中学校教科書で取り上げる作品はあまりにも定番化していると、私は思っていました。また、今まで中学校の教科書に載っていたものが、小学校の教科書にも載っています。だから、中学校の教科書には、どんな教材が取り上げられるのかと楽しみにしていました。しかし、中心的な作品は変わりませんでした。その他の古典作品については、会社によってまちまちです。
 さらに、一年の指導要領には、「文語のきまりや訓読の仕方を知り、古文や漢文を音読して、古典特有のリズムを味わいながら、古典の世界に触れること」とあり、どの教科書の資料にも古典文法表がついているので、中学でどの程度の古典文法を指導しなければいけないのかと危惧していました。ところが、東京女子体育大学の田中洋一さんの話を聞いても、高木まさき編『平成20年改定 中学校教育課程講座 国語』を読んでも、この「文語のきまり」とは、歴史的仮名遣いや語句など古典を音読するために必要な事柄のようです。だから、中学校での古典の読みの指導は、今までと変わらないのです。
 指導要領第一学年の「様々な作品があることを知る」ためか、第三学年の「古典の一節を引用するなどして、古典に関する簡単な文章を書くこと」の参考としてか、古典について述べた文章の掲載は増えました。
A 増えた古典的な詩教材
 同じく増えたのもとして、古典的な詩歌教材があります。
 M社の、荒川洋治『初めての詩』という説明文では国木田独歩の『山林に自由存す』を引用して、文学の言葉の豊かさについて説いています。また、T社の『詩の心ー発見の喜び』は、以前補助教材としてあったものが本編に入りました。山村暮鳥・八木重吉・三好達治の詩を引用した詩の解説文です。
B 古典に触れる機会を増やして
 古典に触れる機会を増やすために次のような試みもあります。
K社
『伝統文化と言語』という単元を設定しています。そして、一年生は落語、二年生は歌舞伎、三年生は狂言と、芸能に関する古典も載せています。
M社
『季節のしおり』として、次のような内容を掲載。
一年生は文部省唱歌・古典的な詩、二年生は古典や現代文の一節・短歌・俳句・古典的な詩、三年生は古典俳句・古典短歌
S社
 三年間通して『伝統的な言語文化』という単元で始まります。単元名は
一年=言語文化にふれる 二年=言語文化を楽しむ
三年=言語文化に親しむ
また、資料集にも、三年間を通して『詩の音読・暗唱』という頁が設けられていて、古今東西の詩が七編ずつ採られています。
T社
 単元の扉ごとに、
 一年=詩・故事成語、二年=短歌 三年=俳句
というように載せています。

  四 言語技術的な説明の増加
 指導要領改訂の基となった中央教育審議会の国語科改善の方針で、「言語の教育としての立場をいっそう重視し」とあるからでしょう。どの教科書でも、読みの技術を説明する頁が作られました。
 五社それぞれの例を挙げてみます。
G社
『発見する読み』という頁が設けられ、例『対比に注目しよう』、『対比から発見しよう』
K社
 読みの技術に関する頁が最も多いです。読みの作品の後には『ここが大事』として、読みのポイントを示します。指導要領第二学年の『読むこと』の中に「文章に表れているものの見方や考え方について、知識や体験と関連付けて自分の考えをもつこと。」とありますが、それに関して、『ここが大事』には次のように書かれています。
  新しい問題と向き合うためには、自分の知識や体験を、一度忘れて読んでほしい。なぜなら、自分の知識や体験が絶対に正しいと考えてしまうと、筆者の主張を受けいれることができなかったり、理解ができなかったりして しまうからである。……
M者
『学習の窓』として、『段落と段落の関係に着目しよう』とか『重要な語句(キーワード)着目する』など
S社
 巻末に『確かめよう』とあり、『話すこと・聞くこと』『書くこと』『読むこと(説明)』『読むこと(文学)』の領域ごとに、五,六項目の解説があります。
例 『読むこと(説明)』の『中心となる内容を捉えるには』という項目には
 @ 例の部分とそれ以外の部分を区別しよう
 A 例があることの効果について考えよう
 B 筆者が一番伝えたいことは何かを考えよう
T社
 『言葉の力』『学びを支える』として、例えば「伏線に注意する」

四 「読み比べの教材」の増加
 特に顕著なのは、K社で、各学年とも【読み比べ・構成と表現】として説明文二編を掲載しています。
 三年生の教科書では、指導要領に『論説や報道に盛り込まれた情報を比較して読むこと』とあるので、次のような教材を載せています。
M社
 『論説の展開に着目して読もうー新聞の社説を比較する』
S社
 渡辺潤一『冥王星が『準惑星』になったわけ』を巻末のの新聞記事と読み比べる。
T社
 池内了『テクノロジーとの付き合い方』
 黒崎政男『テクノロジーと人間らしさ』

五 発展的な学習
 発展的な学習というと、これまでの教科書では、巻末などに何編かの読みの教材が載せられているだけでした。 しかし、新しい教科書では、個人的な学習を指示するものが出てきました。
 G社では、教材末に『家庭学習』で指示しています。また、単元末に『探究』という発展教材を掲載しています。
 S社の前述した『確かめよう』も発展的な学習のためのものです。本編で学ぶ言葉の力を自分で確かめるためのページとしています。そして別冊の資料編は、各教科の学習や生活の様々な面で活用するためのものです。

六、新教科書から考える
 ある国語教育学会で『新教科書・新教材』というテーマでシンポジュームが行われました。小中学校の先生であるシンポジストの話の内容が授業論となっていたのが印象的でした。長い間「教科書を教える」というのが主流で、投げ込み教材には、校長先生から指導が入ったと耳にしたものです。しかし、昨年度から新しい教科書になり、指導しきれないと嘆く小学校の先生に、文科省は「教科書で教える」のだと切り返すという話もあります。中学校の教科書も教材が多くなり、またたくさんの資料が載せられるようになりました。経験を積んだ先生は、それを取捨選択して有効活用できるでしょう。しかし、団塊の世代が一斉に退職し、新採用の先生が増えた中学校の現場では、新教科書の使い方に悩む若い先生も多いことだろうと想像します。経験を積んだ先生にも、教科書全部を研究して授業計画を立てる余裕はありません。あれもこれも教えなくてはと悩む先生と知識の注入に辟易している生徒の姿が目に浮かんできます。それに対する有効な対策は考えつかないのですが、スリムな教科書で絶対に「教科書を教える」ように言われるよりはよいと思います。
 しかし、いくつか浮かんだ問題点についてまとめてみましょう。
 まず、道徳的な教材が増えたことについてです。たとえ国語の授業で『かくあるべし』という道徳的な読みを指導しないとしても、徳目と結びつきやすい内容の教材が増えることは大きな問題だと思います。それは説明文にしても文学作品にしても、国語の授業ではその内容を読み取ります。その内容に感化されると思うからです。「奉仕の精神をもって、公共の福祉と社会の発展に努める。」や「国際的視野にたって、世界平和と人類の幸福に貢献する。」といった内容の文書を読むと、それを当然のことのように受け入れてしまうことがあると思います。
 次に、言語技術的な記載が増えたことについてです。もとよりすべての文章に有効な読みの技術などありません。それが、「こうして読めば文章がわかる」かのように、教科書に載せられることには疑問を感じます。また、説明文の場合を考えると、読みの技術で取り上げられていることには、「繰り返し使われている語句は筆者が言わんとすることに関係がある」など、筆者が何を言いたいかを読み取るためのものが多いと考えます。しかし、現代では、メディアリテラシーの力も国語の授業の中で育てていくことが大切だと思います。
   古典についてです。前述したように、中学校の古典では古典文法の学習はしなくてもよいとのことです。田中洋一さんによると、中学校の古典学習は、言語活動を取り入れて楽しませることができるというのです。しかし、古典文法もすべての教科書に載っています。古典文法までやった子どもの方が私立高校の入試などで有利になってしまうことがないようにと念じます。
 最後に、読み比べるという教材が増えたことについてです。同じ題材について、読み比べる教材が増えることは歓迎です。同じ題材でも、筆者の立場や切り取る観点によってこうも内容が違ってくるのだと、生徒が認識できるからです。しかし、そう言った内容的な比較をするというより、記述の仕方や用いられている言語など、形式的な比較をする教材も多いです。
 教科書そのものだけではなく、指導書の内容にも検討が必要かと思います。その通りやっていく先生も多いことでしょう。一読総合法でやるのと時間的に変わりなくとも、指導書では感想を書き、書いた感想文を読み合う時間まで含んでいるのです。文学作品でも表現にこだわりながら、細かく読んでいく時間は指導書では取っていません。

『低学年の伝統的言語文化の指導をどうするか』


児童言語研究会常任委員長  森 慎

1 神話の登場
今年度新教科書に神話教材が載りました。戦前の第5期国定教科書(1941〜1945)では太平洋戦争遂行のために「皇国民の錬成」を目的として、神話教材が扱われました。それ以前でも国語教科書で1年「オヒサマ」で天照大神を教え、2年「白兎」で大黒主命を、3年「天の岩戸」や「八岐のおろち」で三種の神器を教えました。
「神社教材」解説によると天皇とは「天地と共に長久にして無窮の意」で天皇の国が長久に続くようにと教えました。「信仰生活(=神道)はこれを幼少なる時に訓練することが効果が多い、何が故に敬拝しなければならないかとの理由の理解ができなくても敬拝についての形式的訓練をなさなければならない。すべての作法、礼儀は幼少の時代から重視する」と述べられています。(金子眞「私が受けた教育と教科書の神話」<子どものしあわせ2010.11>)
低学年で、今なぜ神話なのか、なぜ平成20年度学習指導要領案の「昔話と伝説」から「昔話と神話・伝承」に変更したのかという疑問は多くの識者から出ているところですが、この問題の詳細はまた別の機会にゆずるとしても、暗唱重視の「神社教材」解説の流れと重なるのではないかと私は思います。

2 新教科書の中の神話
さて、今度の教科書の中で表れている神話教材について、どのようにストーリーが展開され、どの場面が中心に描写されているか最初に述べます。
光村は中川李枝子の「いなばの白うさぎ」、教育出版は福永武彦の「いなばのしろうさぎ」、三省堂は宮川ひろの「いなばの白ウサギ」、学図はきさかりょうの「ヤマタノオロチ」といずれも再話になっています。東京書籍は、「神話」を3つ取り上げて、あらすじの一部を載せています。
光村では、教師が作品を読んで、それを「きいてたのしもう」となっています。ここでは、オオクニヌシは、兄弟との争いを好まない、白うさぎの話を親身になって聞き、正しい治療法を教える人物として登場します。それに対して八十人の兄弟神たちは、自分こそ国を治めるのにふさわしいと争ったり、オオクニヌシをいじめたり、わにに皮をはがされた白うさぎに、でたらめな治療法を教え、からかったりする人物として対置されます。ここでは話の主人公は、あくまでもオオクニヌシで、「オオクニヌシこそ八十人の中でいちばんすぐれた方だ。」と結んでいます。
教出では、「むかしのお話を読む」となっています。
しろうさぎ、わに、おおくにぬしが主な登場人物となり、会話文を通して物語が展開されます。子どもに語って聞かせたり、子ども自身が読んだりしても分かりやすい童話仕立てになっています。同時に「―これが、いなばのしろうさぎ」です。」という由来話の終わり方になっていて、おおくにぬしを褒め称えるものになっていません。
三省堂では、「むかしばなしをたのしもう」となっています。白ウサギを主人公にした物語に構成しているので、ウサギの心理描写がよく出ています。ウサギは、他の神様たちにはからかわれるのですが、オオクニヌシノミコトの教え通りにしたら、体が元に戻ります。最後は「ふかくふかくあたまを下げて、なんべんもなんべんもおれいをいったのでした。(傍線は筆者)」で終わっています。子どもたちに分かりやすい内容になっていますが、このくり返しの中に、オオクニヌシノミコトはりっぱな神様であることが強調されています。
学図は、「むかしの物語をたのしもう」となっています。スサノヲノミコトがクシナダヒメを守ってヤマタノオロチを退治-する話ですが、そのオロチと戦う場面の行動描写が生き生きと描かれています。ひの川(今の斐伊川)が赤く染まったというエピソードもとりあげています。草薙の剣は「りっぱなつるぎ」と書いてあるだけで、三種の神器の一つという説明は書かれていません。最後は、二人の結婚という昔話の語り口の一つ、ハッピーエンドで終わっています。
東書は、「昔から言い伝えられているお話の中にはいろいろな神さまが出てくる『神話』というものもあります。」という説明から神話教材を3つ載せています。
「いなばの白うさぎのお話」「やまたのおろちのお話」「海さち山さちのお話」あらすじの一部や物語の断片を取り上げていて、選んで読むような展開になっています。
これらの教科書に載った神話は、*オオナムジの正しい治療行為やスサノオの英雄的行為さという一部を取り上げていて、オオアナムジが兄弟神に二度殺され、そのつど母神に助けられ、また蘇生する出来事やスサノオの高天原でのアマテラスを嘆かせる蛮行などは語られていません。これでは、物語の本来の楽しさが生まれてこないのです。*オオクニヌシは複数の名を持つ神。オオナムジは少年神の時の名。(資料4)「古事記」の中で神もまた精彩を放つ人間として描かれているのです。
物語は、そのようないろいろなエピソードでとりまかれた世界を子どもたちは楽しみます。しかし、神話よりも昔話の世界を読み聞かせをすることを大事にしたいと思います。小澤俊夫氏が語る昔話の世界がそのことを教えてくれます。

3 昔話の世界
 小澤氏の語るところによると、「馬方やまんば」という昔話の読み聞かせは子どもたちが喜んで聞く昔話の一つです。こんな話です。
―馬方が魚を入れた荷を馬の背に振り分けてつけて山道を登っていくと、山姥に「これまて、その魚をおいてけ」と言う。こわくなって馬方は片荷を後ろにぶん投げる。山姥は魚をばりばり食うと、「これまて、その魚をぜんぶおいてけ」と言う。馬方は、残りの片荷もぶん投げてはだか馬に乗って逃げる。山姥は又魚をばりばり食うと、今度は、「こらまて、馬の足を置いてけ、おかざあ、おまえをとってくうぞ」とおどす。馬方は足を一本ぶったぎって、うしろへなげ三本足の馬でがったがったがったとにげていき??。
 この後も続きがありますが、この読み聞かせをすると、子どもは三本足で走る馬を想像してげらげらと笑います。ところが母親たちの多くは、反対に「残酷すぎる」とまゆをひそめるそうです。
子どもと母親の反応の違いは何でしょうか。馬が三本足で走った時の姿を子どもたちは想像し楽しみます。三本足はリズムが取れない動きですから面白いのです。反対に母親は馬の足を切って血がどくどく流れるというような場面を想像します。こんな残酷な話を聞くと子供も将来残虐になるのではないかと思ってしまうのです。
 「グリム童話」(正確にはグリムメルフェン)には、残酷な場面がたくさん出てきますが、読み聞かせを聞いた子が残酷な行為をするようになったでしょうか。昔話は「残酷であっても残虐には語らない」という「語りの文法」があります。それによって、精神的ショックを受けず、むしろ場面の展開の面白さが残るのです。

4 子どもの成長と昔話
   子どもたちは、このような、ドラマチックなストーリーが大好きです。もちろんの冒険物語は、昔話でなくてもたくさんありますが、民衆の願いが、知恵が、たくさん詰まっていて、語り継がれ、みんなで子ども青年の成長を見守る昔話は再認識されてよいでしょう、西洋と日本の昔話を例に述べます。
若者は失敗するもの「白雪姫」
 若者の失敗ということでは、グリム童話の「白雪姫」の話はとても印象に残ります。この「白雪姫」は、白雪姫の美しさに嫉妬した女王に3回殺されるのですディズニーの白雪姫とは全く別物になっています。あらすじは、1回目は、行商人に変装した女王にひもで胸を締め付けられて死に、2回目は櫛売りに変装した女王に、毒が塗られた櫛を頭に刺されて死に、3回目はリンゴ売りに変装した女王に、赤白に色分けされたりんごの毒の入った赤色の部分を食べて死ぬのです。七人の小人に注意されたのに白雪姫は同じことを繰り返すのです。昔話の文法では3回のくり返しはとても大事な要素です。「若者はくり返し失敗をして成長するもの」という青少年への温かいメッセージがそこにあります。自己責任論がまかり通る今の日本では、「注意を聞かないのが悪い、死んで当然」となりかねません。他にも知られている3回のくり返しの昔話は、西洋ではグリム童話の「灰かぶり=シンデレラ」があります。
悪知恵も知恵のうち「三年寝太郎」
 「三年寝太郎」は、グーグー寝てばかりの「役立たずの寝太郎」と言われた若者が、たった1回の知恵を働かせて、長者の婿になるのです。夜に鳩の脚に提灯をつけ、木の上でお告げを大声でさけび、提灯の中のろうそくに火をつけて飛ばし、「鎮守の森の神様」と長者に思いこませて、だますという知恵です。大人は「だますのは悪い」と思いがちですが、「悪知恵も知恵のうちさ、育っていく中で悪知恵も使うさ」という悠々たる子ども観、人生観がそこに流れています。
子どもの成長に段階がある「わらしべ長者」
  小澤俊夫さんが採集した福島の「わらしべ長者」は、裕福な百姓が3人の子に財産を分けます。長男には「あたまが良いから」とお金のすべてを、二男には、「働き者」だからと畑のすべてを、末っ子には「怠け者」だからとわらしべ一本を渡します。
 末っ子は、わらしべ一本を持って旅に出かけます。そのわらしべが、物と物の交換の中ではすの葉からみそへ、みそから刀へとグレードアップしていきます。その刀が名刀で、若者が山犬に襲われた時、さやから離れて山犬を斬ります。それを見ていた長者がその名刀を持つ若者がただ者でないと、長者の一人娘の婿にする話です。  これは、子どもの成長を語っていると小澤さんは述べています。わらしべからいきなりみそに出合ったのではなく、その時の成長に合致したものに出合った時に段階を追って成長することを教えています。(資料6)
 やりたがり屋は生きる力「たぬきの糸車」
   これは、教科書に載っている民話の再話を書き下ろしたものです。私の分析です。
  たぬきとおかみさんが登場人物です。わなにかかったのをおかみさんに助けてもらったたぬきが、糸車にあわせて「目玉をクルリクルリと回す」のです。そんなたぬきを、想像するだけで楽しい。そのたぬきが、おかみさん夫婦が里に帰った時に、思う存分糸車を回すのです。おかみさんに助けてもらったお礼に糸を紡いだのではなく、ただ、やりたがり屋だっただけだと思います。そんな子どものエネルギーが伝わってきます。

5 教材を昔話の語りの文法で読む
ただ、「たぬきの糸車」では、断り書きが必要です。岸なみの「伊豆の民話」(再話)を調べてみました。民話は、昔話、伝説、うわさ話を含む広い概念です。「伊豆の民話」に収められている「たぬきの糸車」は、わなを仕掛けるきこりの行動、たぬきのいたずらや腹つづみ・おどり、夫婦が里に下りる理由が描写されていますが、教科書では、省略されています。1年生用に分かりやすくという願いが、素朴な昔話風に仕立てにしたのだと思います。
昔話は、多くは子どもに語って聞かせる話です。したがって、その子たちがその場で絵に描けるようにシンプルでクリアーな作りになっています。登場人物はおかみさんとたぬきです。1対1で、山の一軒家と糸車というセットや大道具・小道具もシンプルになっています。糸をつむいで、おかみさんの家からぴょんぴょこ帰っていくたぬきは何とも愛らしいではありませんか。

6 子どもたちに昔話・民話を大いに読み聞かせよう
  教科書の中では、教出、学図、三省堂の岩崎京子の「かさこじぞう」は定番教材です。貧しい老夫婦の貧しくても支え合いながら生きている姿が描かれています。売り物の笠を地蔵様にかけてやるじいさま、その行いを「ええことをしなすった」と笑顔で受け止めるばあさま。おおらかな二人に読み手はほっとします。大人も共感します。
一方、子どもたちは、奇想天外な話やハラハラドキドキする語を求めています。光村の瀬田貞二の「三まいのおふだ」は「馬方とやまんば」と同じで山んばが登場します。三枚のお札を使って恐ろしい山んばから逃げていくのです。ほんとに自分が山姥につかまって食べられてしまうのではないかとハラハラドキドキするのです。これは、教師が読んで聞かせる教材として巻末にあります。教出の水谷章三の「天にのぼったおけやさん」は、おけ屋さんが天に吹き飛ばされる奇想天外な話です。ただ、敬体で書かれているので、何となく違和感があります。まさか、正しい言葉づかいを意識して、敬体の文章にしたわけではないでしょうが、やはり、地域言葉で語る方が昔話の世界に入れます。学図の「うみの水はなぜしょっぱい」(きさかりょう)は、登場人物も二人でシンプルで、話も分かりやすいのですが、花さかじいさんやこぶ取りじいさんと同じパターンです。またハラハラドキドキを感じさせません。1年生に物語として読ませるのでなく、昔話として読み聞かせる方がないよが豊かなものが与えられそうです。
     みなさんが自分でクラスの子にぴったりだというもの選んでみたらどうでしょう。また、読み聞かせのボランティアの方々にお願いするのもよいでしょう。
  ※参考資料
  1「子どものしあわせ」10.11 金子眞執筆部分
  2『小学全科神社教材の解説と研究』齋藤要 S13
3平成23年度使用小学校国語教科書
  4『読み替えられた日本神話』斉藤英喜 講談社現代新書
5『こんにちは昔話です』小澤俊夫著 小澤昔ばなし研究所刊
6『昔話からのメッセージ ろばの子』小澤俊夫著 小澤昔ばなし研究所刊
7「子どもの本棚」509号日本子どもの本研究会編
8『伊豆の民話』岸なみ編 未来社刊

「漢詩や古文の学習は単なる音読・暗唱ではない」

山岡寛樹

一、「サヨナラ」ダケガ人生ダ
 卒業期になると、ふと思い浮かぶフレーズです。これは、于武陵の『勧酒』(勧君金屈巵満酌不須辞花発多風雨人生足別離)の井伏鱒二の訳文です。「コノサカヅキヲ受ケテクレ/ドウゾナミナミトツガシテオクレ/ハナニアラシノタトエモアルゾ/『サヨナラ』ダケガ人生ダ」が全文です。古典は、いろいろな場面に息づいています。
 日本の伝統的文化は中国の影響を強く受けて発展してきました。当時の政治の支配者たちは『古事記』『日本書紀』の書物の編纂後、漢詩集『懐風藻』が成立させます。その後『万葉集』を「万葉仮名」で成立させます。平安遷都後に勅撰の漢詩集『凌雲集』『文華秀麗集』『経国集』を次々と成立させていきます。それから80年ほどして『古今和歌集』が編まれます。漢詩漢文の受容と教養がとても重要だったのです。そのことを忘れて古典の学習はあり得ません。和歌に於ける本歌取りのように、前の作品を自分の作品に生かす努力や行為は多様に繰り返されてきました。
 以前の作品に触発され、詩情を意識する過程は、日本人の美意識をつくる過程でもあったわけです。子どもに触れさせる古典は、何になるのか? 教科書が何を採り上げるのか? 漢文・漢詩・古文・和歌・俳句の例に何が入のか?に私は強く興味をもってきました。長歌や川柳は、やはりありませんでした。狂言はあっても、伝統に庶民系列のものが入っていませんでした。旧仮名遣いの文語調の明治以降の詩文がいくつか入っていました。
二、漢詩・漢文の例示のし方
 教育出版の教科書では、「昔の中国の書き言葉を漢文といいます」と述べた後に『春暁』孟浩然「春眠不覚暁/処処聞啼鳥/夜来風雨声/花落知多少」の白文を掲げています。その後に「漢字を読む順序を変えたり、送りがなをおぎなったり、くふうして、中国の詩に親しんできました」として、読み下し(訓読)文を示し、もとの詩と見比べ、音読を指示しています。これは一つの見識ですが、難しいです。ピンインで示すと次のようになります。「Chun mian bu jue xiao/Chu chu wen ti niao/Ye lai feng yu shen/Hua luo zhi duo shao」となります。「ao」と韻を踏んでいるのがよく分かります。四声を入れて読んでみると、リズムがよく分かります。
 教科書の詩文は「春眠暁を覚えず/処々に啼鳥を聞く/夜来風雨の声/花落つること知る多少」となっています。訓読のし方には多少の差があります。『聞いて楽しむ漢詩100選』(石川忠久編NHK出版)では「処々啼鳥を聞く」となっています。わたしが今属している詩吟の団体の日本吟道学院の教本では「花落つること知んぬ多少ぞ」となっています。読みくだし方には多少の違いがあるのです。先に示した井伏鱒二の訳文の立場に立てば、別の詩文が出来上がります。漢詩と言った時に、どれを称して漢詩と言うのか難しい問題が生じてきます。教育出版の教科書では『静夜思』李白が「牀前月光を看る/疑うらくは是れ地上の霜かと/頭を挙げて山月を望み/頭を低れて故郷を思う」の詩文と訳がついています。「牀」の字は習いません。「低れて」を「たれて」という読みは今はありません。子どもたちが混乱しながら学習を進めていくことが予想されます。これは、詩吟を習い始めて、改めて漢詩を読んでいる私の実感です。教科書で言う漢詩は、訳文ではなく「訓詁文」だということです。ちなみに私は、『静夜思』の漢字二十枚のパネルを並べながら、漢詩に仕立てていくという授業を船橋市の国語研究会で見たことがあります。
 教育出版では「日本人は、詩のほうかに、昔の中国の歴史を記したものや、人々の考えを表したものを読んできました」と説明して、『論語』と『大学』一部が読み下し文で紹介されています。「故きを温ねて/新しきを知る」と「心焉に在らざれば/視れども見えず/聴けども聞こえず/食らえども其の味知らず」が出ています。
 漢詩の紹介の後に、漢字の広場3で「熟語の組み立て」というコラムがあります。これは、漢詩の出し方の前にあった方が良いと思います。
 三省堂では、読書の森でに『春暁』と『絶句』杜甫「江碧鳥逾白山青花欲然今春看又過何日是帰年」の白文と訓読文と直訳文があります。
 声を出して読もうという所に、「漢文を日本語の文章に直して読むことが行われてきました」の解説の後に『論語』の一部が紹介されています。「学びて時にこれを習う、亦た説ばしからずや。朋あり、遠方より来る、亦た楽しからずや」「吾れ日に三たび吾が身を省みる」(流石に三省堂です)「故きを温めて新しきを知る、以て師と為るべし」「仁者は必ず勇あり。勇者は必ずしも仁勇有らず」「己の欲せざる所は人に施すこと勿れ」の訓詁文です。
 東京書籍では「漢詩というと漢字ばかりの詩なので、むずかしくて近寄りがたいといった印象を持つかもしれません。しかし、とても分かりやすい詩もあるのです」として『尋胡隠君』高啓「渡水復渡水看花還看花春風江上路不覚到君家」という白文の上に訓詁文が示されています。
 日本の言葉ー漢文を読んでみようという設定で、「百聞は一見にしかず」の解説と「百聞不如一見」が出ています。「今わたしたちが使っている言葉の中にも、昔の中国で生まれた言葉が生きているのです」と説明しています。その後「一を聞いて以て十を知る(聞一以十)」「子曰く、『故きを温めて新しきを知らば、以つて師となるべし』と(子曰温故知新可以為師矣)」(論語)、聖徳太子の「十七条憲法」が漢文で書かれていたことを説明して「一に曰く、和を以つて貴しとし、さかふること無きをむねとせよ(一曰以和為貴無?為宗)」が出ています。後は『春暁』が訓読文と白文で示されています。
 光村図書では、四季の言葉として写真と季語・俳句・和歌・漢詩を配列しています。
 声に出して読もうというコラムで『論語』を訓詁文だけで提出しています。「子曰く、『己の欲せざる所は、人に施すこと勿かれ。』と」「子曰く、『過ちて改めざる、是を過ちと謂ふ。』と」「子曰く、『学びて思はざれば、則ち罔し。思ひて学ばざれば、則ち殆し。』と」
六年の季節の言葉に漢詩の『春暁』『静夜思』を訓詁文で出しています。漢詩・漢文では常用漢字表無視です。
 漢詩や漢文の出し方に温度差があります。例示されている作品にも幅があります。何を基本とするのかについては、これからという所なのかもしれません。しかし、これらを学習する子どもたちは、今までに学習していな漢字の読みを音読の過程で強要されます。好みに関係なく、いろいろな漢字・漢詩を学習することになっていきます。中国思想の古典の一部を学習することになります。それを音読し、覚えるということになるのです。深い意味を理解することなく言葉が刷り込まれていきます。「読書百遍義自ら見る」(「おのずからあらわる」と読める子はまずはいまい)を地で行くことは、形を優先する形式的な思考力を重視する立場です。昭和十三年発行の齋藤要『小学全科神社教材の解説と研究』の中の「敬拜しなければならならないかとの理由の理解ができなくとも敬拜に就いての形式的訓練は爲さなければならない」に通じるものであり、問題です。
三、古文や文語文の光村図書の作品例
 光村図書では「季節の言葉」というきれいなコラム欄で季語や俳句や詩が紹介されています。「目には青葉山ほととぎす初がつを」山口素堂、「船に子のひだるき顔や風かほる」松窓乙二などの俳句と『夏は来ぬ』佐佐木信綱の詩「卯の花の 匂う垣根に 時鳥 早もきなきて 忍音もらす 夏と来ぬ 五月雨の そそぐ山田に 早乙女が 裳裾ぬらして 玉苗ううる 夏は来ぬ」が出ています。見た目に綺麗です。でも難しい言葉がたくさん入っています。「夏の日」の所には、「夕立の雲もとまらぬ夏の日のかたぶく山に日ぐらしの声」式子内親王、「雲の峯いくつ崩れて月の山」松尾芭蕉などがあります。「門ありて唯夏木立ありにけり」高浜虚子の後に木の写真と「夏になると、木立は葉が多くなり、にぎやかになります」という解説が出ています。虚子の俳句についての私のイメージとは違ったものになっています。「秋の空」の所には、俳句とともに「弓張月」「十六夜」「後の月」などの言葉が出ています。辞書を調べないと意味は分かりません。「冬から春へ」では、『冬の星座』ウイリアム=ヘイス作・堀内敬三訳の歌の他に「夕焼けてなほそだつなる氷柱かな」中村汀女、「東風吹かばにほひおこせよ梅の花主なしとて春な忘れそ」菅原道真などが出ています。
 そのほか「詩を読もう」の中に『紙凧』井伏鱒二「私の心の大空に舞ひあがる/はるかなる紙凧 一つ/舞ひあがれ舞ひあがれ/私の心の大空高く舞ひあがれ」、『土』三好達治「蟻が/蝶の羽をひいて行く/ああ/ヨットのやうだ」といった旧仮名遣いの詩が出ています。他の場所に、『われは草なり』高見順の旧仮名遣いの詩もあります。
 声に出してみようー「今も昔も」として「長い年月をへて、今日まで読みつがれてきた作品を古典といいます」と解説し、『竹取物語』『枕草子』『平家物語』の出だしの部分が旧仮名遣いの句読点・ルビ付きで紹介されています。「古典の世界」として兼行法師の『徒然草』第百九段「高名の木登り」が紹介されています。以上が五年生用です。
 六年の「季節の言葉」は漢詩と短歌・俳句が多様に配置されています。「春は、あたたか」には漢詩の『春暁』や蘇軾の「春宵一刻値千金」の一句、「子等は皆貝を拾ふといで行きて磯のはたごや昼静なり」落合直文、「故郷やどちらを見ても山笑ふ」正岡子規などが出ています。「夏は、暑し」には、「暑き日を海に入れたり最上川」松尾芭蕉、「夕立が洗つていつた茄子をもぐ」種田山頭火、「日焼け顔見合ひてうまし氷水」水原秋櫻子、「炎天の地上花あり百日紅」高浜虚子の俳句と季語が並んでいます。「秋は、人恋し」には漢詩の『静夜思』と、「見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」藤原定家、「ちる芒寒くなるのが目に見ゆる」小林一茶、「秋深き隣は何をする人ぞ」松尾芭蕉の短歌や俳句とともに、「春ー青/夏ー朱/秋ー素/冬ー玄」など昔の中国で季節に色をつけていたことが紹介されています。「冬は、春の隣」には『早春賦』吉丸一昌、「『寒いね』と話しかければ『寒いね』と答える人のいるあたたかさ」俵万智、「梅一輪一輪ほどの暖かさ」服部嵐雪、「水枕ガバリと寒い海がある」西東三鬼、「柊の花一本の香りかな」高野素十の短歌と、睦月・如月・弥生・卯月・皐月・水無月・文月・葉月・長月・神無月・霜月・師走の十二月が豆知識として紹介されています。そのほか、「伝えられてきたもの」という文章で『万葉集』から『東海道中膝栗毛』までの文学の歴史を概観し、演劇の歴史にも触れています。そうした流れに乗って、狂言『柿山伏』が写真入りで紹介され、狂言師の山本東次郎の解説が付いています。  橘曙覧が作った「たのしみは妻子むつまじくうちつどひ頭ならべて物をくふ時」等を例示して短歌作りの基礎を解説し、短歌作りを奨励しています。それに続いて「『とんぼ』の俳句を比べる」として「蜻蛉やとりつきかねし草の上」松尾芭蕉、「肩に来て人懐かしや赤蜻蛉」夏目漱石、「大空にとどまつてをる蜻蛉かな」高浜虚子、「とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな」中村汀女の句を比べ、同じ題材の俳句を調べる学習を促しています。また、別の所では季語を示して俳句作りの学習を組んでいます。
 声に出して読もうとして、福沢諭吉の『天地の文』(ふみ)を題材として文語調の文章を提示しています。
 伝統文化を意識して、高畑勲の「『鳥獣戯画』を読む」という説明文を読んだ後に、「この絵、わたしはこう見る」という単元を入れ、風神雷神図などの写真を入れて文章を書くようにしています。このように古典や伝統文化について実に広い範囲のものが教材化されています。
四、他社の教材はどうなっているのか
 扱い方は各社各様です。「言葉は変わる」というコラム教材で『竹取物語』の出だしの部分が扱われ、身近な例としてのさじ→スプーンなどが出される例。俳句や短歌の作例。鑑賞など多様です。だれのどの作品か、どう提出するか各社で様々です。
 学校図書では、「随筆を書こう」という単元の『わたし風「枕草子」』(五年)に『枕草子』出だしの部分が長く出ています。冬まで原文が示され、下段に口語訳が付いています。四季の一つを選んで清少納言のまねをしながら書くことが例示されています。難しい活動でしょう。
 「短歌・俳句を作ろう」(五年)の単元には、「日本人は、伝統的な韻律である五音七音のリズムを大切にしています」と解説して「この里に手まりつきつつ子どもらと遊ぶ春日は暮れずともよし」(良寛)、「名月をとってくれろとなく子かな」(小林一茶)を例示して実作です。難しい活動になるでしょう。六年には、「文語詩を味わおう」(六年)の単元に、柳田国男と島崎藤村のやりとりを紹介しながら、『やしの実』が出ています。説明文の様です。
 東京書籍では「古文を声に出して読んでみよう」(五年)で『竹取物語』『徒然草』『平家物語』の出だしの部分が出ています。「古文に親しもう」(五年)で『枕草子』はじめの段の一部が紹介されています。
教育出版では『「物語」を楽しむ』(五年)の単元に『竹取物語』『平家物語』の初めの部分が紹介され、当時の文化の説明がなされ、全体として文化史の説明になっています。「春はあけぼの」(六年)『枕草子』の初めの部分を季節ごとに分けて説明し、随筆を書くという学習へと進めています。「言葉は時代とともに」として『坊ちゃん』(夏目漱石)、『杜子春』(芥川龍之介)の出だしを紹介し、正岡子規の俳句や短歌を紹介し、『万葉集』の「田子の浦ゆうちいでて見れば真白にそ富士の高嶺に雪は降りける」(山部赤人)、「淡海の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ」(柿本人麻呂)などと比べて考える説明文になっています。楽しむための多様さが難しくしています。 五、旧仮名・旧漢字を教師が学ばねばならない
 旧仮名遣いの全教材を紹介することはできませんでした。中学の教材がそのまま降りてきたという感じです。旧仮名の文と訓詁文ならなんでもありで、系統性無しです。
 『漢詩』(松浦友久・岩波新書)は文語自由詩として訓読漢詩をとらえ、漢字二字一拍、和歌四文字一拍と考えるリズム・拍の問題など詩歌を理解するのに役立ちます。物語の初めの部分に着目して、古文の歴史性を学べる本に『知ってる古文の知らない魅力』(鈴木健一・講談社現代新書)があります。岩波新書の『日本語の古典』(山口仲美)『王朝文学の楽しみ』(尾崎左永子)『いくさ物語の世界』(日下力)『平家の群像』(橋昌明)『日本語と時間』(藤井貞和)『和歌とは何か』(渡辺泰明)『季語の誕生』(宮坂静生)や文春新書『「唱歌」という奇跡十二の物語』(安田寛)は、小学校の教師におすすめの本です。国語を専門に学習してきた人でも結構きつい内容です。古文・漢文についてのある程度の知識は教える側の教師に要求されます。旧仮名遣い・漢詩・漢文・旧漢字(繁字体)・和歌・俳句についての基礎的な知識は、これからの教育を担う教師の常識になりそうです。大変なことです。

『低学年の漢字指導について』山岡 寛樹
一 はじめに
 一年生の子どもたちは、文字を学ぶことを喜びとしています。漢字学習が始まると、大人の気分になって夢中で覚えようとします。平仮名や漢字が正しく書け、自分の書いた文章が学級便りなどに載ると、大変な喜びます。本にも興味を持ち、漢字の多い本を読もうとします。しかし、だんだんと文字学習が大きな負担になっていく子が増えてきます。量の問題が基本です。漢字には意味があるため「学校へい木まし田」と使えません。覚えなければならない文字の数が増え、同音異義語が増します。そのうえ、字を書いたこと文章を書いたことを評価し励ましてくれていた大人たちが、間違いを指摘することが増えてきます。以下、低学年の子どもたちにとっての文字学習の困難さとそれへの対処の仕方を考えていきたいと思います。

二 低学年の配当漢字
 並べてみると、結構あることに気づきます。
 一年=一右雨円王音下火花貝学気九休玉金空月犬見五口校左三山子四糸字耳七車手十出女小上森人水正生青夕石赤千川先早草足村大男竹中虫町天田土二日入年白八百文木本名目立力林六(80字)
 二年=引羽雲園遠何科夏家歌画回会海絵外角楽活間丸岩顔汽記帰弓牛魚京強教近兄形計元言原戸古午後語工公広交光考行高黄合谷国黒今才細作算止市矢姉思紙寺自時室社弱首秋週春書少場色食心新親図数西声星晴切雪船線前組走多太体台地池知茶昼長鳥朝直通弟店点電刀冬当東答頭同道読内南肉馬売買麦半番父風分聞米歩母方化毎妹万明鳴毛門夜野友用曜来里理話(160字)
 一年生では平仮名とカタカナを習うことになります。カタカナは二年とまたがっていますが、長音の表記や拗音・拗長音の学習をします。つなぎことばとして「は・を・へ」など読み方の違う平仮名を習います。これに算用数字が入ります。文字負担は結構重いものかあります。漢字には沢山の読みと意味があります。音をそのまま漢字にする訳にはいかないのです。ここが漢字学習の大きなハードルとなります。ただ漢字を教えるのではなく、字のでき方などを通して漢字の意味・字義を教えることが工夫されなければなりません。しかし、漢字のでき方についてはいろいろな説があります。異字体も多いのです。「辺」は、JIS規格には「邊」「邉」をあわせた3文字がありますが、百字近い異体字があるのです。漢字の字義や字源や字形の整理では『康煕字典』(1716年)が最も権威があり(画引き字書である)、ほぼ定説となっています。字形は現在の常用漢字と違い旧字・繁字体です。常用漢字表の中に旧字・繁字体出てきて、「康熙字典体の字」が正しいとされる傾向が強くなっています。旧字体を少し示すと円(圓)学(學)気(氣)など…。意味の説明が楽であっても、画数も多くなる。辺の長短で意味が変わる土と士、末と未などやっかいなのが漢字です。これは大人にとっても同じ困難です。

三 体系だった漢字指導が必要なのですが
 二年生までの漢字で部首別に区分けをしてもあまり意味がありません。部首別での仲間分けを試みてみましょう。雨=雲・電・雪、竹=答・算、?=草・花・茶、ウ=字・室・家、木=林・校・村、日=晴・時・曜・明、土=地・場、言=読・話・語・記・計、イ=休・作・体・何、糸=絵・紙・細・組、彳=行・後、弓=引・強、?=海・池・汽・活、囗=国・園・回、門=間・聞、广=広・店、?=道・通・遠・近・週といった具合です。それぞれの字のでき方の中にこめられた中国の人の見方を教えて興味づける程度の指導の方が良いでしょう。
 漢字のでき方は「六書」としてまとめられています。@象形(人・火など)A指事(上、下など)B形声(花、空など)C会意(林、男など)D転注(意味に転用なので造語法ではない)・E仮借(同音の当て字なので造語法ではない)です。絵をもとにしてできた象形文字と絵としにくいものを約束事としてできた指示文字を基本にして指導し、それ組み合わせた会意文字を指導する。それぞれの文字が概念としてできたあとに、多くの漢字は積み木であるという指導をしながら形声文字を指導していくようにすると良いと考えます。音を担う部分と意味を担う部分があることも教えると、漢字へのイメージがしやすくなるでょう。

四 漢字指導の実際
今の漢字から昔の字を想像することで、中国の人の物の見方感じ方を感じさせることで漢字に興味を持たせようとしました。
左と右の漢字カードを黒板に提示しました。(一年)
C 知ってる。ひだりとみぎだ。左右とも読めるよ。
T どこが似ているかな?()
C ナの形がある。カタカナの「ナ」だよ。
C カタカナの「ノ」があるところ。
C 漢字の「一」もあるよ。
C 長さが違うよ。左の「ノ」が長くて、右の「ノ」が短いよ。p
C 上の横棒の長さも違うよ。左が短くて、右が長いよ。
T 「ナ」の様な所が似ているね。長さの違いまでよく見ましたね。よく気づきましたね。では、「エ」と「ロ」は何を表しているのでしょね。合わせて考えると、両方 の字がわかりますよ。
C 「ロ」は口で、「エ」は?
T そう、「口」はくちです。
C 「エ」はカタカナの「え」。
T カタカナの「エ」ではないんだな。これ読めるかな。図工・工作(漢字を板書後、ず・さく、と仮名を振る)
C 「コウ」上が「ずこう」・下が「こうさく」だ。
T そうです。漢字では、「こう」と読みます。「エ」は工具とか物差しとかの道具なんだよ。「ナ」の昔の字はこうなの(下の部分を長めにして板書する)
C それは、手なの。腕だよ。
T そうです。手を表しているのです。(古い口の字を書き入れる)口に関係する手は?
C 右手。
C ○君は左手で食べているよ
。 T でも、右手で食べている人が多いよね。じゃあ、物差しの様な道具ははどっちに持ちますか?
C 左手の人が多いよ。
T 左手で定規を持って、右手で線を引きますね。漢字をはじめに出した時に言ってくれたように「ひだり」と「みぎ」という字でした。
C でも、どうして長さが違うの?
C さきっぽが指だから小さい。
C 長い所が腕なんじゃないの。
T なるほど。右手の方は左に曲がっていて、左手はあまり曲がっていないね。どっちから先に書いたらいいかな。
C 腕の方・指の方
C ぼくは絵を描く時後で指を描くよ。
T カタカナの「メ」を大きく書く時、どっちを先に書いた方が書きやすいかな? ○さん、黒板でやってみて下さい。
C (おのおの机の上でやってみて)小さい方を後から書いた方が書きやすい。 T そうだね。交わる時には、長い方を先に書いた方が書きやすいですね。だから左は「ー」が先だよ。右は「ノ」が先だよ。後は、左上から先の約束で大丈夫だね。まず 左から書き順の練習をします。「左」は「ひだり」・「サ」とも読みます。では大きく空に書きましょう。一、横は短く。二、左に払うよ。長めにね。三、横ちょっと短く、止める。四、縦。五、横へ上より長く、止める。(五回 ほど)   今度は掌に書いてみよう。五回書いたら、もっと小さく書いてみよう。三回書いたかな?今度は心の中に三回書いてみよう。
※空書を繰り返して練習します。教師が大バーに子どもの方を向いて空書します。子どもたちはそれを真似て、大きく空書します。空書の過程で時代の大よそを体感させます。体全体から手首を意識させます。掌に空書させます。だんだんと小さくさせて、もう書けないくらい小さくなったら心の中で書くのです。そうすることで、頭の中に漢字の形がイメージされていきます。
T では、「左」のあることばを言ってください。
C 左側
C 左側通行は車だよ。
C 左右をよく見る。
T そう左という字は、「サ」とも読むんでしたよね。
C 佐藤君。
T 残念でした。佐藤君のさは、「佐」という字で、左側に人がありますよ。ではノートに「左」平仮名で「ひだり」片仮名で「サ」と書きましょう。あと、左がわ・左だりがわつうこう・左右と書きましょう。
※語句語彙指導と関連させた漢字指導は低学年ではきついので、無理をしない方が良いのですが、外せません。

五 終りに
 二点繞の導入など、「常用漢字表」改定で「康熙字典」体の旧字・繁字が野放し状態になっています。漢字の分析力を育てる学習は必要ですが、繁字体の方が字源的説明が容易ということでそちらに流れれば、漢字使用が煩瑣になります。繁字体・旧字体で苦しむのは、避けたいです。

2010.8.31 文法他の所に「入門期からの作文指導例」を入れました。文の頭と体の指導と実際の作文との結びつきを見てください。研究会のお知らせに苫小牧での全国研究討論集会の案内を載せました。 2010.6.21 書籍紹介の所に『たのしい文法の授業』(低・中・高編)の目次を入れました。児童言語研究会とはの所に、児言研の歴史と機関誌の歴史の文章(松山市造1983年)を入れました。(yama)
2010.6.11 47回夏期アカデミーの案内を載せました。研究会情報としてアカデミーの簡単な内容紹介を入れました。一読総合法と説明文の力を「一読総合法」の所に入れました(yama)
2010.02.27 「3月7日(日)大場先生退職記念『スーホの白い馬』」について掲載しました。(Komi)
2010.01.19 「1月30日(土)第15回全国研究集会in横浜」について掲載しました。(Komi)
2009.08.19 更新を開始しました。(Komi)